9今は神がユダヤ人を相手にしていない時代

日本には天皇という不思議なものがあります。これは王の王で、天からの皇という意味です。普通の王は、生まれた人間が王になるのですが、皇は生まれつきの王です。生まれつきの王は生まれながらの王のことです。先天性の王を意味するのです。これを天皇と言います。

中国の秦の始皇帝は、生まれつきの王ではありません。普通の人間が王になったのです。エチオピアの皇帝でも、普通の人間が王になっているのです。

日本ではそうではなく、天皇家ができてから、日本の国ができたのです。国ができてから王ができたのではない。国の成立が他とは違うのです。

これは一つの標本になっています。日本人は純粋の異邦人ではありません。標本としての異邦人です。このことが分かった者だけが、イスラエルと同様に扱ってもらえるのです。

天からの皇というのは、生まれながらの天の子という意味です。約束の民と同じ意味です。これが自覚できる者だけが、本当の日本人としての成り立ちを自覚できるのです。

今は、神がユダヤ人を相手にしない時代です。ユダヤ人を相手にしないということは、神が本気になっていないことを意味するのです。

日本人は聖書を全く当てにしていません。聖書の値打ちが全然分かりませんし、聖書を勉強している人でも、聖書に熱情を持っていないのです。

韓国ではつまらない牧師の話でも、一回の集会で、三千人から四千人の人が集まるのです。午前中に二回、午後に二回の礼拝をしますので、一日に一万五千人くらいの人が教会にきます。これが普通の教会です。大きい教会ではこの二倍くらいの人が集まってくるのです。日本の教会とは比べものにならないのです。聖書はそれくらいの熱意をもって見られて当然です。これがとこしえの命の値打ちです。

日本人は永遠の値打ちが全然分かりません。天皇の値打ちも分からないのです。今は神が異邦人を相手にしていて、ユダヤ人を相手にしていません。やがてユダヤ人を相手にする時がくるでしょう。そうすると、ユダヤ人が世界の中心になるのです。

世界の中心になれば、悪いことをしなくなります。その時、世界に絶対平和が現れるのです。この実現のために、神に祈らなければならないのです。

今、神は、真正面からイスラエルを叱っていません。ほったらかしにしているのです。これが困るのです。いつまでも世界の混乱状態が続くからです。イスラエルを真正面から叱ってくれと、神にお願いしなければならない。はっきり叱ってもらわなければならないのです。神はイスラエル左叱らなければならないことは分かっていますが、残念ながらイスラエルを相手にしていないのです。神がイスラエルを勘当状態にしているからです。

早く、イスラエルの悪い点を言ってほしいのです。白人文明の悪さを責めてもらいたいのです。白人文明の悪さが暴露されますと、世界情勢が一変するからです。そうすると、復活したイエス・キリストが歴史の真ん中に再臨するのです。キリストの再臨とは何か。ヨハネは次のように言っています。

「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見

た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」(ヨ

ハネによる福音書114)。言(ことば)が肉体となって、私たちの内に宿ったとあります。これがイエスです。

実は私たち一人ひとりがイエスと同じものです。言が肉体となった。この状態を魂と言います。言は理性、人格のことです。人格が理性的に生きている状態を言と言います。言が肉体を持った状態を魂と言うのです。

イエスが生きていたのは、魂の見本です。イエスが分からなければ魂の説明をすることができないのです。

聖書をまともに信じていない人は、魂が分かりません。仏典には魂という言葉がありません。キリスト教には魂という言葉がありますが、その意味が分からないのです。イエスが生きていたことが、実は私たちが生きていることの本当の姿です。キリスト教ではイエス様は偉い人だとしか言いません。イエス様と自分とは、全然違った、別の人間だと思っているのです。

イエスと私たちは同じです。同じだから救われるのです。同じだから、イエスの復活がそのまま私たちの復活になるのです。イエスの復活をまともに信じますと、皆様がこの世に生まれた命は消えてしまいます。そして、死なない命が分かるのです。

人間が生きているのは自分ではない。本当は魂です。魂はイエスが生きていた時の姿です。これが分かれば、イエスの復活が私たちの新しい命になるのです。そしてこの世に生まれた命はなくなって、新しい命が与えられるのです。

自分が救われるのではありません。この世に生まれた自分は消えてしまって、新しく生まれるのです。新しく生まれるというのは、水と霊によって新しく生まれるのです。

水によって新しく生まれるのは洗礼です。霊によりて生まれるというのは、キリストの復活が自分自身の復活だということが分かることです。そうすると、イエスがキリストになるのです。

イエスをキリストにしなければだめです。イエスの甦りを受け取れば、イエスが皆様のキリストになるのです。救い主になるのです。皆様のキリストにしたらいいのです。その時、この世に生まれた自分の命は消えるのです。

この世に生まれた自分が救われるのではありません。この世に生まれた自分は消えてしまって、イエスの甦りを信じた時に、イエスの命が皆様の命になる、ですから新しく生まれるのです。

この世に生まれた自分は消えてしまいます。イエスの十字架によって消えてしまって、復活によって新しく生まれるのです。これが新しい運命です。

キリスト教では、イエス様によって救われると言いますが、一人も救われません。イエスの命が自分の命になっていないからだめです。イエスを信じると、別の命になるのです。

禅宗では、現在の人間が生きているのは空だから、自分自身を空じてしまうと言います。自分を空じると言うのは、結論的に間違っていませんけれど、ただ空じてしまぇと言うだけではいけない。イエス・キリストの十字架によって葬られるという考えでなければならないのです。

イエスと共に葬られるのです。イエス・キリストと共に、十字架によって、この世に生まれた自分は葬られてしまう。これはローマ人への手紙の第六章に書いていますが、十字架によって葬られて、復活によって、新しい命のキリストにつながるとなればいいのです。日本人の考えでは、この世に生まれた自分はよく考えるといないのだという思想があるのです。これが天子という思想です。人間は天から生まれてきた。この世のものと違う。天子が今現れていると考えるのが、天皇思想の潮流です。

これが間違っているのです。これは日本流の神学です。まともなようですけれど間違っているのです。天理教などはこの考え方です。人間は生まれながらにして神さんだと考えるのです。神さんでありながら人間が悪因縁によって生活を汚している。

お金をためるとか、財産を造ることによって、人間の生活が悪因縁で固まってしまっている。だから因縁を放下してしまいなさい。自分自身の財産を全部あげてしまうとか、行いを全部変えるとかすれば、この世に生きていても因縁がきれいになる。白因縁になると言う。そうしてこの世を去れば、すぐに生まれ変わる。今度は良い状態で生まれ変わると言うのです。

これがとんでもない間違いです。日本人はこの世に生まれることが有難くてしかたがないのです。曹洞宗の開祖、道元禅師ほどの偉い人でもそう考えていました。日本の宗教改革の中で弘法大師とか日蓮、最澄といった人々がいますが、道元ほど冷静で、聡明な人はいませんでした。

これほどの人が、この世に生きていることが有難くてしかたがなかったのです。受けがたき人身を受け、会いがたき仏法に会いと正法眼蔵に書いているのです。永平寺の大尚であった道元が、間違えていたのです。この世に生まれてきたことが、有難くてしかたがなかったのです。

なるほど、この世に生まれたことは、有難いと言えなくもないのです。この世に生まれなければ、イエスを信じることができないからです。イエスを信じることができれば有難いと言えるのです。ところが、この世に生まれたままの状態では、イエスを信じることができない。この世に生まれた人間は、一度死んでしまわなければいけない。死んでしまう方法が分からないために、仏教全体が腐っているのです。

仏教は、土の世に生まれた人間が生きているそのままで、悟れば救われると考える。これが土台から間違っているのです。この世に生まれた人間は、一度死んでしまわなければだめです。これがイエス・キリストの十字架です。十字架によってキリストと一緒に死んでしまう。そして復活によってキリストと一緒に生き返るのです。これがきちつとなされなければいけないのです。

この世に生まれた自分は、一度死んでしまわなければいけない。聖書が言うとおりに実行しない人は、いくら勉強をしてもだめです。一度死んでしまわなければいけないのです。キリストと共に十字架につけられて、キリストと共に復活する。これがクリスチャン(キリストのもの)です。

このことを本当に理解しようと思ったら、太陽系宇宙ができたことを勉強しなければならない。地球ができたことを知らなければ、本当のことは分かりません。

織田信長は、「人間五十年化転のうちに比ぶれば夢幻のごとくなり」と舞っていました。これは敦盛の謡に出てくる狂言の文句です。謡曲に挟まれている文句です。

当時の田楽の舞にこの歌がありました。これを織田信長が舞っていました。化転のうちに比ぶれば夢幻のごとくなりとは、天の下に生きている人間を、一つひとつ検討してみれば、夢幻のようであるという意味です。昔の狂言師でも、これくらいのことは言ったのですが、今の人間はこの意味がほとんど分からないのです。

自分の生涯を振り返って、生きているとはどういうことかを調べることを、化転のうちに比ぶればと言うのです。人生とは一体何であるか。善とは何か、悪とは何か、生とは何か、死とは何かを考えることを、比べると言うのです。

この世に人間が生きてきたことは、生活を通して、人生をディスカッションすることが目的です。生活をすることが目的ではありません。この世に生きることを通して、命とは何であるか、魂とは何であるか、本当の人格とは何であるかを、比べることなのです。化転とは、天の下で生きている状態で、自分の命をつらつらと考えることです。

皆様の人格や理性は、イエスと同じものです。ですから皆様が妄念さえ捨てれば、イエスの人生がそのまま自分の人生であることが分かるのです。イエス・キリストと共に十字架につけられることは、何でもありません。イエスでも十字架につけられたとすれば、自分が十字架につけられることは当たり前だということが、すぐに分かるのです。有難いことだと思えるのです。

「私はキリストと共に十字架につけられた」(ガラテヤ人への手紙219)とパウロは言っていますが、当たり前のことです。「キリストが私の内に生きておられるのです」(同)と言っています。このとおりです。心を開けばこれはすぐに分かります。分からない方がおかしいのです。

パウロは、「肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思う」と言っています(ローマ人への手紙85)。人間はこの世に生きていますから、肉に従うことがあるのは当たり前です。この世に、肉体を持って生きているのは、神の訓練のためです。

肉体的に生きているのは、本当の姿ではありません。訓練として肉に従って生かされているのです。肉に従って生かされている状態で、霊に従って生きることをどれだけするかを、神が見ているのです。

女性は女性のままでいたらだめです。現世にいる間に、男の中に入らなければならないのです。女性のままで死ねば、必ず火の池へ行くからです。来世では女性はいりません。女性がいるのは現世だけです。現世では女性はあばら骨としているのです。あばら骨を取られた男性に帰ることを恋愛と言います。神が人間に精神主義的な恋愛を許しているのは、こういう意味です。

本当の信仰は恋愛と非常によく似ています。同じものと言ってもいいくらいです。

女性が一人でいますと、蚊帳(信仰)の外にいることになるのです。女性であるというのは、神の譬です。この譬を見破るために、恋愛とか信仰という方法を、神が人間に教えているのです。

この世の常識、道徳、法律を信じていれば、皆地獄へ行くのです。女性の貞操観念も皆間違っています。肉体を持った貞操観念です。肉体を持った状態で考えることは、皆間違っているのです。なぜなら肉体は存在していないからです。パウロは「肉の思いは死である」と言っています(ローマ人への手紙86)。肉体があると思っている人は、肉の思いばかりになってしまうのです。

肉の思いを持ったままで、聖書を勉強しようと思ってもだめです。肉体的に生きている自分を信じている人は、霊に従ってものを見ることはできません。

そこで、水と霊によって新しく生まれて、神の国に入ることが、どうしても必要なのです。肉体があるという思いから、卒業するのです。

水から生まれるということは、水のバプテスマ(洗礼)を受けることで、肉体的にきているという思想から出てしまうのです。霊によって新しく生まれるということは、この世にいる自分から、出てしまうのです。肉体を主体とする精神状態から出てしまうのです。これが、神の御霊による解脱です。

水と霊とによって新に生まれることを、実現しなければいけないのです。この世に生まれた以上、どうしてもしなければならないことです。この世の夫婦、この世の貞操を、神は全然認めていないのです。神が認めていないものに、こだわる必要はないのです。

女性のままで死んだら、必ず地獄へ行きます。来世では女性は一人もいらないからです。この世に生きている間に、一日も早く男性の中に入ってしまわなければいけないのです。二人の者会いて一体にならなければいけないのです(創世記234)。

男性もただの男性ではいけない。ここが難しいのです。聖書の本当の信仰は、現世の常識を全部越えてしまうのです。水と霊とによって新しく生まれて、神の国に入るのです。

キリスト教ではこれが実行できません。これが説明できる牧師さんが、一人もいないからです。女性が消えるとはどうすることか分からないからです。

女性のままで死んだらだめです。女人往生は聖書しかありません。男性も男性のままで死んだらだめです。キリストの内に消えてしまわなければいけないのです。男の人となりが、引き裂かれるのです。女性も引き裂かれるのです。クリープ(cleave)されるのです。二つに割られてしまうのです。これを経験しないと神の国には入れません。

水と霊とによって新に生まれるのです。肉に従うものは肉です。霊に従うものは霊です。霊に従うとはどういうことかと言いますと、例えば、花が咲いているとします。花は霊に従って咲いているのです。地球ができる前に、地球のファンデーションがありました。地球のファンデーションがなかったら、地球ができるはずがないのです。

ファンデーションが地球に入ってしまった。それが今の地球のエネルギーになっているのです。そのエネルギーが花になって咲いているのです。鳥が飛んでいるのです。

四季折々の花が咲き、魚が泳ぎ、虫が鳴くのは、地球のファンデーションの現れです。私たちは森羅万象を通して、地球のファンデーションを見ているのです。

地球のファンデーションを福音と言います。これが分かると霊に従うことができるのです。肉というのはできあがった地球を言います。ファンデーションの地球が霊です。

マタイによる福音書に、次のように述べています。

「わたしは口を開いて譬を語り、世の初めから隠されていることを語り出そう」(1335)。地球ができる前にあったファンデーションが、魚の味、果物の味、鳥の声、花の美しさになって見えているのです。女性の美しさもファンデーションです。男性は女性を、性欲的に抱いています。これは大変な間違いです。性欲どころか、ファンデーションです。男性と女性がセックスの本当の意味を悟ることは、大変なことです。

霊の思いがとこしえの命です。それがファンデーションという福音です。花の美しさは、女性の美しさと同じものです。美しいというのは全てファンデーションです。

おいしいというものもファンデーションです。楽しい、嬉しい、恋しい、すばらしいというのは試みに経験しているのです。本物ではないけれど、今試みに味わっているのです。

苦しいことも同じです。本当の苦しさは死んでから火の池で味わうのですが、それを現世でちょっと味わっているのです。悲しいことも同様です。福音を勉強すると、人生の秘密が全て分かるのです。人間が生きている秘密、奥義が皆分かるのです。

皆様の生活をよくご覧になると分かります。いつでも信仰によって生きているのです。料理を造ることも、家事をすることも、仕事をすることも、全て信仰によってしているのです。信仰によらなければ、何一つできません。ですから自分の行いを霊的に見ることができればいいのです。

女性は罪人ではありません。男性は罪人です。女性は子供を産むことによって救われるとパウロは言っています。物事を素直に考える習慣をつければいいのです。霊の思いばかりで生きることは、なかなかできません。肉体で生きているのですから、肉の思いがあるのです。パウロでも生きている時は、肉の思いと激しく闘っていたのです。

肉によって考えることと、霊によって考えることが、いつも交錯しているのです。聖書を読んでいても、肉体的に生きている自分が読んでいれば、肉に従って読んでしまうのです。霊的に理解できることが、不思議なくらいです。

自分自身の常識を、どのように乗り越えて聖書を信じていくかを、勉強しなければいけないのです。常識があることが悪いのではない。肉の思いがあることが間違っているのでもない。あるのはしかたがないのです。肉の思いをどのように乗り越えていくかです。肉を霊に変えていくのです。

自分の精神状態をどのようにアウフヘーベーンするかが難しいのです。闘いばかりです。どのように闘うか。闘いの上手、下手があるのです。肉に負けないで勝つようになる方法を、御霊によって教えてもらうのです。一度この世に生まれた以上、どんなに難しくても、新約聖書の原理を卒業しなければ、必ず地獄へ行きます。永遠の滅びになるに決まっています。

新約時代はイエスが復活した後の時代ですから、本当に真剣に聖書を勉強すれば、分かるに決まっています。神から見れば、皆様の命は死なない命になっている。これが分かったようで分からない。神と人の魂との関係は、つかず離れずの関係です。分かると言えば分かる。分からないと言えば分からないという関係で続いていくのです。これが、神の御霊が人の魂を引っ張っていくテクニックです。

永遠に分からない状態に置いてしまえば、人間は絶望してしまうでしょう。そうかと言って、分かったことばかりですと、人間はつけあがるのです。人間を絶望させてもいけないし、つけあがらせてもいけない。ですから、絶望はしないように、又つけあがらせもしないように、ほどほどの関係でいくのです。これが神のテクニックです。

まず必要なことは、神に対する謙遜です。神の前に平伏するという気持ちをお持ちになれば、必ず教えてもらえるでしょう。素朴さが必要です。そうすれば魂の目が開かれるのです。


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