1文明はユダヤ人によってリードされている

ユダヤ人問題は日本人にはなかなか分かりにくい問題でありまして、白人社会にはユダヤ人がたくさん住んでいます。ユダヤ人がいることに大きい関わりを白人社会は持っているのです。

日本人はユダヤ人とあまりなじみがありません。ところが日本の古代の神社の様式には、ユダヤ人の影響を受けたという事実がはつきりあるのです。しかし歴史の表面に浮かんでいません。従って、日本ではユダヤ人間琴ほとんど問題になっていないのです。

その上、日本人は聖書を敬遠する気風が大変強いのです。聖書を正しく読まないと、ユダヤ人問題は解明できません。聖書を正しく読むということは、日本人の習慣にはほとんどないのです。

キリスト教はありますが、キリスト教は聖書の読み方が間違っているのです。プロテスタントも、ローマカトリックも、キリスト教的な読み方であって、西洋人が西洋で、キリスト教の教義を作ったのですが、それを作ったのはユダヤ人が中心です。ローマカトリックの中心思想は、ユダヤ主義なのです。ユダヤ教の思想に基づいて、ローマカトリックの思想が作られているのです。マルチン・ルーテル、カルビンが、ユダヤ教的なカトリックを若干修正しましたが、やはりユダヤ主義を一歩も出ていないのです。

なぜ世界の文明がユダヤ主義になっているかを簡単に申しますと、聖書を読んでいない人には少し分かりにくいのですが、人間は結局動物にすぎないのです。

人間は肉体的にはただの生物です。動物の社会にボスがあるように、人間の社会にもボスがあるのです。リーダーシップが正しかろうが、正しくなかろうが、ボスに引っ張っていかれるのです。誰かがタクトを振りますと、それに従って音頭をとるようになってしまうのです。

世界文明の流れは、ユダヤ人によってタクトが振られているのです。例えばオリンピックを動かしているのもユダヤ人ですし、国際フリーメーソン、世界宗教会議、ノーベル財団、国際経済銀行、IMF、ローマクラブ、地球環境会議等、多くの国際組織には、ユダヤ人の影響が非常に強く働いていますし、ロスチャイルド、サッスーン、クーン・ロエブ、モルガン、ロックフェラーといった世界的な大財閥の力は強大なものがあるのです。

テレビ、ラジオ、映画、インターネットを発達させたのもユダヤ人ですし、セックス主義もユダヤ人があおっているのです。スクリーン、スポーツ、セックス、マスコミは、ユダヤ主義に基づく思想であって、知っている人は知っているのです。聖書の中心は神ですが、この神が分からないのです。

かつて、神がアブラムに約束を与えました。これは旧約聖書の創世記に書いていることですが、神はアブラムに、あなたを中心にして全世界の文明の経倫を行うと宣言しているのです。

神がユダヤ人の祖先に約束を与えたことによって、約束の民族になったことが、全世界のボスに任命されたことになるのです。

ユダヤ人が世界の中心になったのは、神が任命したからです。ユダヤ主義が現在世界を毒しているというのは、神が世界を毒しているというおかしな状態になっているわけです。これを神が何とかしなければならないと考えているのです。これが一番大きい問題です。

ユダヤ人が神を誤解したこと、キリスト教がさらに神を誤解したこと、こういうユダヤ教の神に対する間違い、キリスト教の神に対する間違いは、文明の根本を間違った方向へ引きずっていったのです。

その結果、世界の中心、文明の中心となる大黒柱が動いてしまったのです。座標軸が悪い方へ移動していったのです。これが現代文明の混乱に現れているのです。

ユダヤ人は全世界の文明のカギを握っている中心民族です。世界人類の運命のカギを握っている不思議な民族が、ユダヤ教という宗教観念にとらわれて、地球上で彼らの王国を造ろうとしています。これが現代文明になって現れているのです。

私はユダヤ人に、反省を促すことと、猛省を与えることが目的で、いろいろな本を書いているのです。

現代人は世間並みの常識に従って生きているために、太陽があること、地球が自転、公転していること、森羅万象があることを、当たり前のものだと考えているのです。

マルクス的に言えば、この世も人間も偶然に存在すると考えるのです。存在の原理を掘り下げて考えようとしないのです。

地球があるのは偶然で、地球と同じような惑星が地球以外にもあると考えるのです。これが現代文明の思想です。古代、中世では、こういう考えはなかったのですが、現代人はこういう考えを当たり前と考えているのです。

地球だけに森羅万象があるのではないと考える。地球の経験を世間並みのことと考える。当たり前のように考えるのです。従って、地球以外にもこんな惑星があるはずだと考えるのです。

太陽と同じような恒星が宇宙にもたくさんあるから、太陽系のようなものが他にもあるはずだと考えるわけです。これが常識的な人間の考えなのです。

地球が独自の存在であると考えません。地球以外にも地球みたいなものがあるというばかばかしい考えを信じているのです。地球が存在することを御伽噺のように考えるのです。偶然性という考えは似たようなものがいくつもあるというところから発生するのです。聖書はこれを偽キリストの思想だと言っているのです。

現代人は自分の心理機能を正確に経験していないのです。自分の心理機能のデリカシーを子細に検討しないで、鵜呑みにしているのです。

地球以外にも地球に似たような星があって、宇宙人がいるという思想がありますが、これがユダヤ思想です。ユダヤ人が十六世紀以降にこういう思想を流し始めたのです。これが偽キリストの思想です。

地球は何も珍しいものではない、聖書が天地創造と言わなければならない程貴重なものではない、宇宙の偶然によってできたものだと考えるわけです。

学者は大自然の法則が何からきたのか分からないのです。法則とは何か、法則によってでなければ物事は成立しないのです。法則とは何かが分からないのです。

法則は偶然に成立しているものだと考えるのです。太陽と月の引力関係とか、それと地球との関係、太陽の光線と地球を取り巻く電離層、バンアレン帯との不思議千万とも言える微妙な関係によって、地球上には動物、植物、鳥、魚といった生物が満ち溢れているのです。これが何を意味しているのかが、世界中の学者が説明できないのです。それはただ、大自然の法則によると十把一絡げにかたづけてしまうのです。

ですから、地球のような惑星が他にもありうるという理屈が生まれてくるのです。これは全くお粗末、無責任、無自覚、無定見な思想であって、こういうばかばかしい思想によって、天文学は汚染されているのです。行き当たりばったりのいいかげんな理論によって汚染されているのです。

もし宇宙人が現実に本当に存在しているなら、出てきて、テレビで堂々と発表すればいいのです。地球の人間と友好条約を結べばいいのですが、一度も出てきません。

宇宙人がいるというばかばかしい思想をユダヤ人が造り上げて、世界に盛んにばらまいています。ハリウッドがそういう映画を盛んに造って、世界中で上映しているのです。

ユダヤ人はイエスがキリストであると困るのです。今までのユダヤ人の主張が全部否定されるからです。ユダヤ社会が崩壊してしまうからです。

彼らはユダヤ社会を守るため、自分たちの世界観を守るために、彼らに言わせればユダヤ人の霊魂を守るために、そういうばかげた思想を流しているのです。

そのために、イエスがキリストであることに反撃しなければならないのです。反撃する一番手っ取り早い方法は、地球だけが地球ではない、地球ではない地球がありうるという理屈をでっち上げたということです。

ところが地球は、あまりにも精密な惑星です。緻密、周密、神秘なものです。あらゆる言葉を用いても形容できないほどすばらしいものが地球です。き宇宙の中で生き物がいるのは、たった三地球だけです。地球以外にはハエ一匹もいないのです。これが学者に分かつていないのです。

直径百五十億光年の広がりを持つ宇宙の中で、地球はたった一つのエデンの園であって、単なる惑星ではないのです。宇宙で竺無二の生態系です。生きている星です。

生命が現象体として現れているのは、永遠不朽の時間の中で、たった一回現れるだけです。後にも先にも、生命体が目に見える状態で現れているのは今だけです。時間的にも空間的にも、二度と現れることはありません。私たちは全く千歳一遇のチャンスに遭遇しているのです。これほど周密な惑星は、未来永劫の時間の中で、二度と現れることはないのです。

宇宙のあらゆる宇宙線、あらゆるエネルギーが集中しなければ、生物は出現しないのです。どう考えても、宇宙にこういうものが存在するはずがありません。これは宇宙の中の最大の秘密です。謎です。これは現在の地球が試作品であって、やがて完全無欠な完成された地球が出現することの予告なのです。

これを実際に証明して見せたのがイエス・キリストの復活体です。死ぬことのない完全無欠のボディーをもって現れたのです。閉め切った部屋を自由に出入りできたし、食べ物を必要としないボディーを示したのです。この宇宙に、現在の物理次元を超えた新しい次元の命ができたことを証明したのがイエスの復活体です。

それからサウロ(後のパウロ)が、ダマスコ途上を歩いていた時に、白昼に太陽よりも強力な光に照らされて、地に倒された。その光がイエス自身であることを知らされて、仰天したのです(使徒行伝919)。この事件は、宇宙に、現在の物理構成とは全く別の新しい次元の物理構造が誕生していることを、はつきり証明したのです。

ヨハネの黙示録には、現在の地球が消滅した後にできる全く新しい世界、「新天新地」を堂々と書いています(2122章)。イエス・キリストの復活体は、その世界の早期実現なのです。

ユダヤ人はこの事実に反対しています。人々の目からこの事実を何とかして覆い隠そうとしています。これが宇宙人がいるという思想です。

地球の命が吹き出して、花という恰好で現れています。命を形容すると、花の香り、姿、色、形になるのです。花の美しさは一体何であるのか、美しいということの実体が命です。命が地球創造の原点です。

命の原態が地球という形で現されています。命という原態が、森羅万象として現されています。こういうことは地球以外ではありえないのです。過去にも、未来にも、永遠にないのです。宇宙で再び地球のような物体が現れることは絶対にありません。ありえないのです。宇宙は時間的にも空間的にも、無限です。無限の世界に、限定された地球という形がある物体ができたのは、異常事態が起きたことを意味しているのです。極めて変則的で、違法とも言える状態が発生したのです。

それは天使長であるルシフアーが宇宙の絶対に反逆して、自らが絶対であると考え始めたからです。そして形がある現象的物質がなければならないと主張したからです。このルシフアーを自滅させるために地球が造られたのです。

もし宇宙に地球が二つ以上存在することになりますと、キリストの贖いが無効になるのです。神の約束が全くむなしいものになるのです。モーセの掟もむなしいものになるのです。ユダヤ人はイエス・キリストを否定すると同時に、モーセの綻をも否定したのです。これがユダヤ思想です。創世記には地球が存在することしか書かれていませんから、地球が二つ存在すると神の約束は無効になるのです。十字架によって贖われたのは、地球上の全人類の罪であって、それ以外の人間にはキリストは関係していないのです。キリストの購いは、地球にだけしか通用しないのです。

もし地球以外の星に人間がいることになりますと、キリストの贖いは嘘になるのです。

ユダヤ人はこういう方法で偽キリストの原理を世界中に流しているのです。神はこれを最も憎んでいるのです。神をバカにしているからです。ユダヤ人は、神の約束はどこにもあると言いたいのです。イエス以外にキリストはどこにもいると言うのです。

これは全く神を嘲弄しているのです。悪魔に転落した天使長ルシフアーの思想が露骨に現れているのです。

SFの思想は、ユダヤ人の最も悪質な神に反抗する考えです。キリストに反対するということで、キリストの購いを茶番狂言にしようとしているのです。

この思想はSFの世界だけのことではありません。自然科学がそうなっているのです。哲学もそうです。政治学も、法律学も、社会科学も、すべてSFの概念に汚染されているのです。政治学も法律学もSFの世界と同次元のものになっているのです。

自然科学は自然の法則を絶対としなければ成り立たないのに、自然の絶対を認めようとしないのです。自然科学がフィクションなのです。学者は聖書は神話伝説だと言います。聖書が神話伝説であるといっても、地球創造の驚くべき秘密は聖書にしか書いていないのです。自然科学は神話にもならないのです。ユダヤ人はこういう間違いを演じているのです。

人間が信じている文明の正体は何でしょうか。これはユダヤ人が造ったものです。世界的なスケールを持っていますので、簡単に潰れるとは思いませんが、仮に、米・ロシア・ヨーロッパが核兵器全廃の決議をして、世界に平和が実現しても、やはり人間は死んでいくのです。これでは本当の平和とは言えないのです。人生は、現世に生きていることだけではありません。生まれる前の前世と、死んだ後の来世があるのです。現代文明は、現世に生きている間だけが人生だと言っているのです。これがユダヤ思想の一番悪い点です。

かつてユダヤ人は、旧約聖書を無視するために、ギリシャの古典文学を担ぎ出したのです。これがルネッサンスです。ユダヤ人はヘブライズムを捨てて、ヘレニズムを強調し始めたのです。ここにユダヤ人の巧妙なトリックがあるのです。これを、日本の学者は見破ることができません。今の宗教家に、マルチン・ルーテルの間違いが、全然分からないのです。

ユダヤ人は二千年もの間、掟を行ってきました。ところが、いくら掟を行っても平安が感じられないのです。綻を行うことに、うんざりしたのです。そこで、ヘブライズムを棚上げにして、ヘレニズムを担ぎ出したのです。いわゆる文芸復興を強調したのです。ここにメシヤ思想の非常に危険なトリックがあるのです。ルネッサンスに、根本的なごまかしがあることを、はつきり申し上げたいのです。

それ以後の神学、宗教は、全部嘘です。現在の文明は、ルネッサンスから流れ出しているのです。学問も、宗教も、道徳も法律も、全部間違っているのです。

死んで行くに決まっている人間の命を、そのまま容認してしまったのです。死んでしまえばそれまで、死んでから天国へ行くか地獄へ行くか知らない。こういうことを堂々と言っているのです。

その結果、ヨーロッパの哲学者は、神は死んだと言っているのです。日本的な言い方をすれば、神なんかあるもんかとなるのです。これが文明思想なのです。

それに向かって、その考えは間違っていると私が発言していますので、世間の人から見れば、私が大気違いのように見えるでしょう。

ルネッサンス以降の学問を信じている人は、みな騙されているのです。六十四億の人間が全部、完全に編されてしまったのです。これはユダヤ思想の驚くべき巧妙なトリックです。

現代文明は、やがて完全に行き詰まるでしょう。米・ロシア・ヨーロッパ・アジアが妥協することによって。軍備全廃をほのめかすかも知れません。それが実現すると、全世界六十四億の人間は、拍手喝采するでしょう。そして、人間文明のすばらしい花が開くでしょう。人間文明は万歳、万歳となるでしょう。

聖書は「無事太平の時に、滅びがたちまち来る」と言っています。その後世界は、収拾できない大混乱に陥るでしょう。

文明は行き詰まるに決まっています。国も社会も潰れるでしょう。日本の国は、国家目的がないのです。社会が永遠に存続する可能性はないのです。

その時、皆様の命はどうなるのでしょうか。本当に生まれてきて、よかったと言えるでしょうか。

地球がある。太陽がある。大宇宙があるのです。あることが命の実体なのです。神がある。悪魔がある。地球がある。万物がある。あるという原則を否定することはできないのです。これがエホバです。

エホバは、人間が分かるか分からないかの問題ではありません。皆様が生きていることなのです。

かつてモーセは、シナイの山上で、神と話をしました。神の実体を教えられました。モーセは「有りて有る」とはどういうことですかと、もう一歩突っ込んで質問しませんでした。これがユダヤ人の悲しい運命の基礎になったのです。

モーセは、確かに神と話をしたのです。話をしましたが。神の実体が分からないままで、掟を伝えたのです。これがユダヤ教の大欠点です。

モーセの信仰が間違っていたのです。こんなことを二千年来、この地球上で言った人はいないでしょう。私はモーセの信仰は間違っていたと言っているのです。イエスもそう言っているのです。

モーセの信仰が間違っていると、聖書に基づいて堂々と言える人だけが、ユダヤ人に発言できるのです。神を信じているつもりの彼らが、神の実体が全然分かっていないのです。キリスト教もそのとうりです。キリスト教とユダヤ教が、神の実体を全然、,理解していないのです。世界の人間の魂が、そのままエホバなのです。地球があることが、エホバなのです。地球がエホバではありません。地球があることがエホバなのです。旧約聖書にありますが、モーセが神と出合ったときに神の名前を尋ねました。

その時神は「我は有りて有るものなり」と答えたのです。これが神の約束の原点です。

英訳ではI am that I amです。amが私だと言っているのです。amareis、が神なのです。いわゆるBe動詞が人間が生きている根本です。この他に、目が見えることの根底、鼻から息を出し入れする根底はないのです。

日本語では、有りて有るということは説明しにくいのですが、英文ですと非常に簡単です。I am that I am.これでしまいです。人が生きているということが、神だと言っているのです。

これがモーセに分からなかったのです。モーセは、神から、神の名前が「有りて有る」と言われたが、なにか漠然とした思いで神の前を去ったのです。ここにユダヤ人の欠点があるのです。皆様の肉体は、神の御顔の前では本当に存在しているのではありません。人間の歴史が終わるまでの間、仮に、一つのビジョンとして、神の前に立つことを許されているだけのことです。

ですから、自分が生きているという大きなことを言うのをやめていただきたいのです。自分が生きているという事実は、どこにもないのです。神の前には、鼻から息を出し入れしていることが、認められているだけです。呼吸機能の働きが、ビジョンとして肉体になって現れているだけなのです。

詩篇三十九篇には「わたくしの一生はあなたのまえでは無にひとしいのです。まことに、すべての人はその盛んな時でも息にすぎません。まことに人は影のように、さまよいます」と言っているのです(56)。

神の前に、固有名詞の人間は一人も存在していないのです。ただ人の子があるだけなのです。これをイエスと言うのです。神が公認している人格はイエスだけです。皆様がイエスの中に入るなら、神はイエスとして認めるのです。

イエスは、私にきなさい、そうすれば休ませてあげようと言っているのです。私の中に入ってきなさい。私の中に住み込みなさいと言っているのです。これをキリスト教では全くしていません。ただイエスを信じなさい、そうすれば霊魂が救われると言っているのです。これが間違っているのです。

神は我が前に歩めと言っています。人間は自分の前に歩んでいるのです。自分がいると思う、自分という思いが、悪魔の思いです。

自分がいるという思いは、明らかに、悪魔という偽りの思想の中にいるのです。神が認めているのは、イエスだけです。

人間は神を認めないで、神らしきものを持ってきて、宗教を造っているのです。それを拝んでいるのです。これが間違っているのです。神らしきものを拝まずに、皆様が生きていること、心臓が動いていることが神ですから、このことを素直に認めればいいのです。

文明は滅びます。国も社会もやがて滅びるでしょう。なぜなら、目的を持っていないからです。

学理学説は目的を持っていないのです。ノーベル賞は目的を持っていない。科学も目的を持っていないのです。生活を良くするとか、お金を儲けさせる、豊かにするという目的はありますが、こんなものは本当の目的ではありません。永遠の目的を持っていないのです。

やがて、天地万物が神の御顔の前から逃げ去るのです。物理運動の原則が変更されると、原子が消えてしまうのです。

神の原子爆弾が地球に放り込まれると、地球の物理運動の原理が消えてしまうのです。そうすると、地球は瞬間的に消えてしまうのです。

神の御顔の前から、万物は逃げ去るのです。神の御顔が、世界中の学者、宗教家に、全く分かっていないのです。聖書は地球の終わりを、堂々と書いているのです。

皆様の思いが、皆様を殺すのです。自分の思い、自我意識を捨てればいいのです。この世に生きている自分の思いを、断固として否定するのです。

かつて、モーセは荒野でへびをあげました。イエスも木にかけられると言っていました。このへびはサーペントで、人間の肉の思い、自我意識です。サーペントは悪魔の思いです。神はサーペントを十字架にかけたのです。皆様の思想の本源である肉の思いの本家本元のサーペントをかけたのです。その結果、人間の肉の思いが全て消えてしまったのです。

宗教も、学問も否定されたのです。神の前に歩む命だけが認められたのです。この事実をユダヤ人が認めようとしません。ですから六十二億の人間に肉の思いがあります。あるように思えるのです。

もしユダヤ人がイエス・キリストの十字架、復活の事実を受け入れたら、世界に驚くべき平和が訪れるでしょう。未だかつて地球に現れたことがない、千年間の絶対平和が訪れるのです。その時、人々はしみじみと神の栄光を賛美することができるのです。

私はその日が一日も早く来ることを心から待ち望んでいるのです。


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